意味を持つ。
絵を描くと、なんでその絵を描いたか説明をしなければならない、という画家の仕事がある。
そのために絵に意味を持たせる。
つまりは自分の描けるものを制限していく。
そうしたら絵は一つのメッセージになる。
これが絵の学校で講義として習うこと。
その講義をひと蹴りさせてもらうと。
そんな絵は新聞のニュースのコラム記事の挿絵程度のものだ。
さらに言うなら、一々、その時代を追いかけてサラサラとメモしたようなもの。
楽しさなんて全くない。
まあ、描くのが楽しいなら話は別だけど。
絵の学校では絵を描く前に、それを教師に紙で提出してみることから始まる。
かつての自分はその提出が大嫌いで、
クラスの中で一番遅く、
白紙をコピーしておいて、記入欄に「後付け」と堂々と書き、完成後に記入して渡す。
基本、考えたら手が止まるタイプなので感じたものを文字に起こすのは大嫌い。
どストレートに手を動かして、結果、なんでコレなん?と言われたら、私にはそう見えたから、と答えるし、何か意味づけしろと言われたら、数時間前に見たニュースの批判や世の中の問題をとても考えてる風にツラツラ言う。
大抵それで納得する世の中。
そんなわけで説明のいらない動物は好き。
感情も、メッセージも、言葉も、ストレート。
1番スッキリしてる。
顔や動きを見たらだいたい分かる。
変な考えをしていればその顔に出てる。
まあ、最近思うのは、変わった人が多いわ。
世の中ギスギスしてるせいかしら。
そんなことを全く考えてないカカポさん。
なんかカカポさんが羨ましいわ。